厚狭・寝太郎巡り
2015・10・03
その.2
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円応寺の住職の丁寧な説明を受けます。 寝太郎の像を取り出して見せてくれました。厚狭駅前の寝太郎の像はこれを参考に作られたようです。 こちら
円応寺を出ていきます。 東に向けて進んでいきます。
道のそばに藤袴が咲いておりまし。 よく見るとアサギマダラが2匹いました。本日はじめてきたそうです。私も今年は始めてみます。
少し進んだところに熊谷家居館跡があります。??? こちら さらに東に進みます。
分水溝で左折し厚狭川を目指します。 美祢線を超えて厚狭川の右岸に出ます。
これが鴨庄を干拓した小川でしょうかね??? 川沿いを北に向かって進んでいきます。
堰堤が見えてきました。ここから取水しているようです。 取水口です。
寝太郎堰■
疎水100選の一つで、山口県では萩の藍場川(大溝)の2か所のようです。(疎水名鑑より引用)

疏水の概要・特徴
旧山陽町(現山陽小野田市)の厚狭地区の中央部を貫流する厚狭川の本流を柳瀬付近で堰き止め、固定堰(現頭首工は昭和38年完工)により、千町ヶ原にかんがい用水(受益面積383ha)を導入している。この固定堰を「寝太郎堰」と云い、千町ヶ原に引く用水路を俗に寝太郎用水と呼称している。改修以前の寝太郎堰は、石張溢流堰で約300年前に築造されたとされている。この寝太郎堰の築造及び導水により千町ヶ原を拓き美田となしたと云われる人物が、「寝太郎」と呼ばれていた人で「厚狭の寝太郎」は現在、伝説上の人物とされています。寝太郎伝説として、言い伝えられてきた内容は、3年ほど寝てばかりいてくらしたのち、千石船にいっぱいの草鞋を佐渡の金山で古草鞋と交換し、古草鞋についていた砂金を資金として、厚狭川を堰き止め荒地であった千町ヶ原に水を引き美田となした、と云われる物語である。現実、この堰により旧山陽町の中心部が発展、今日の繁栄の基礎が築かれたことは事実であり、毎年祭祀が行われ人々に信奉され親しまれています。
さらに川沿いを進んでいきます。
この橋で左岸側に渡ります。山田地区でしょうね。 国道316号線を横切り、赤川の裏の道を南下していきます。
この道はウォーキングでよく通る道です。 少し疲れが出てくる頃です。
再び国道316号線に出て、南下していきます。 道のそばのお地蔵さんでしょうか?ものも言わずに私達を見ています。
柳瀬地区に入り国道の裏の道を進みます。 もう半分は過ぎましたよ。がんばりましょう!
石束の峠に来ました。 峠を下ったところで、夢公園に向けて右折します。

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