肥中街道 3
2014年 5月17日
楢原から肥中港(肥中浦)まで
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大内盛見の時代に山口から肥中浦(ひじゅううら)に至る街道が創設されのが肥中街道です。肥中浦―滝部―田耕(たすき)―西市)―殿敷―大嶺―河原―岩永―綾木―長田―山口の道場門前の阿部橋付近に至る16里(約60キロ)の内陸横断道路で、重要な意味を持つ陸路だったそうです。肥中街道は、大内氏の対外政策を象徴したもので、肥中浦に陸揚げされた輸入品は御船蔵に収納され、肥中街道をはこばれて西の都山口に運んでいた。現在わかる道を歩いてみましたが、GPSデーターで16里(60km)以上はあるようです。今回は一部肥中街道と異なる所を歩いていますが、その報告を記載しておきます。

下の地図は西市から肥中港までの肥中街道を示した地図です。更に詳細な地図は下の区間名をクリックすると出て来ます。赤い線のルート図をクリックするとその付近の写真が出て来ます。

  肥中街道の他の区間はこちらから  山口~美祢(湯田~美祢駅)  美祢~西市  西市~肥中(楢原~肥中浦)

 詳細地図は        
西市から久保田地区まで 久保田地区から浮石原 浮石原から田耕まで
田耕から大庭まで 大庭から田代まで 田代から肥中港まで

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