かりや道    山陽小野田市刈屋漁港→宇部市楠町船木  その1 TOP   次のページ    戻る
山陽小野田市の南部に位置する刈屋漁港から、宇部市楠町船木までの魚街道と思われる「かりや道」を歩いてみました。船木はこの地区の中心的,町で、西国街道の宿場町であり、船木市があった場所です。刈屋はすぐ隣の木戸と並び刈屋浦、木戸浦と言われ、漁業の盛んな港でした。竜王山の北側に位置し、しけの時は回避港として使用されていたようです。
今回は刈屋浦から船木宿までの3里23町(14.3km)を歩いてみました。
刈屋中道 刈屋は家が密集して、旧街道が分かりにくいので、地図に大きく、ルートを記入しました。今回通った道は青空市のおばさんに、お聞きしたルートを歩きましたが、ふるさとウォーキング「かりや道」の資料では青い線が「かりや道」として紹介されています。かりや道は竜王山の南部に通ずる道にもなりますので、入り口は少し違いますがかりや道には違いはありません。「刈屋往還筋(中道)」
刈屋港常夜灯(文政元年) この刈屋港は吉敷毛利氏の領地で文政元年(1818年)に築堤し、その先端に常夜灯を作った。現在も夏には灯が灯るそうです。石の表面は風雨で削られ字が読み取れません。

防波堤 他の防波堤はコンクリートで作られていますが、この部分は石積みです。「防波堤の先端に常夜灯が作られた」と言うことなら、この石積みは、後に増設されたものでしょうね。

屋波止場記念碑(明治30年) 常夜灯の反対側の先端に波止場記念碑があります。記念碑にはこの地区の旧家の名前が刻まれています。港の記念碑を見て、いよいよ「かりや道」を歩き、船木宿に向かいます。
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