周防一宮・二の宮を経て徳治 堀へ
2017・ 1・28
その 2
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以前はこれが道路でしたが、小学校が新しくなってからはここは校内なり通行できません。小学校の周囲を迂回します。 が本日は土曜日で学校がお休みで運動場では体育大会が行われていましたので、大会を見学しながら、通行させて頂きました。
塚原地区で左手に進みます。
道標に鹿野と右田の表示があります。
細くなった道を進んで行くと左手にお地蔵様?
大きな石垣のある家の側を進んで行きます。 夏に歩いた時はこの木陰が本当に助かりました。
熊野神社の前を進んで行きます。 田の口地区に入りさらに北を目指します。
途中から小さな道に入り農道を進みます。 和田地区に入りさらに北に進みます。
県道に入る手前でこの橋?を渡ります。どうかな? 県道に入り、峪(かけ)地区を進みます。
傍に猿田彦大明神がありました。
宮の馬場地区に入ってきました。 宇佐八幡宮です。ここで昼食のため参道に入ります。
二の鳥居です。これを潜ります。 赤さまの祠です。
左手奥に手水所があります。 拝殿です。その前で昼食をとりました。
真直ぐな参道を出て行きます。 県道を過ぎて、一の鳥居まで来ました。この地区の名前が宮の馬場と言います。多分、この長い直線の参道で流鏑馬でもやられていたんではないでしょうか?
宮の馬場地区を北に進みます。 県道を斜めに横切り、そのまま旧道を進んで行きます。
十七地区に入り、再び県道を進んで行きます。名前の謂れは戦国時代、大内氏の落武者が松ヶ谷の洞穴(現在の巌屋観音堂)や観音滝付近に隠れて暮らしており、その後、甲田美作守、秋本但馬守、木原和泉守など十七人の落武者が、この地で暮らしていたというので「十七」という地名がついたそうです。 十七地区の旧道に少し入って行きますがすぐに県道に戻ります。

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