明治150年記念赤間関中道街道を行く 明木・美祢中村
2018年 5月11日
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 その 1  更新日 2018・05・24
今年が明治150年となります。以前から旧街道を探して、多く歩いて来ましたが、150年と言う節目に萩の中心的街道・赤間関街道中道筋を出来るだけ当時の道に近いルートで歩くことを計画されましたので、参加しました。リーダーが念入りに調査して現在でも通行可能な道を探してきましたので、その道を歩くことにしました。赤間関街道中道筋は萩から下関市(赤間)までの道ですが、萩往還・山陽道と重複しておりますので、単独の赤間関街道は明木市から吉田宿までとなります。今回はその中の、明木市から、大嶺中村(美祢駅)までを歩きました。このルートは過去には何度も歩いていますが、旧道を出来るだけ忠実に歩いたのは今回が初めてでした。その様子を報告します。実際に歩いたルートは国土地理院の地図を利用して ルートマップ として表示しておりますので、ご覧下さい。(歴史の道調査報告書・赤間関街道に記載されているルートを基本としました)
ここは明木市の真ん中になります。
ここをスタートしますがここは萩往還です。
萩往還はここを左折して一升谷に入り山口に繋がります。 この左手角に道標があります。「右せき道 左山口道」とあります。ここに移設された道標です。
明木上市を一升谷方向に進んで行きます。右の山はとうじ山と野丸岳でしょう? この地点で直進は萩往還で右折の道が赤間関街道になります。上の道標はここにあったものです。
明治150年を記念してこのような道標が萩市、美祢市内は設けられていますが下関市内にはないようです。??仲が悪いのかな?ここは堂尾 直ぐに一升谷川?を渡り南に進みます。
道はここで途絶えています。ここは明木小中学校ですが、校舎が出来る前は道がありましたが、運動場として埋立てられ、以前は裏道を迂回しておりましたが、今は廃校になり通行が可能なので通ります。 牛地地区です。これは街道になります。
広い道に合流し、左折します。
 左手に標識があります。ここは牛地です。
国道262号線を右折して暫く国道を進みます。右手には明木川が流れています。旧街道はこんなに広くはありませんが、拡幅されたものです。
右の県道32号線との分かれ道に来ました。角力場地区ですが地名の謂れは分かりません。  国道と県道の間に標識があります。 国道を少し上った処に 
 道標があります。この道標も最近取りつけられています。
ここから右のあぜ道に入ります。県道32号線に相当する道ですが、県道の位置は多分、明木川の川岸で芦原だったのではないでしょうか? 道の入口の手前に標識があります。ここも角力場です。 竹藪の中を通り過ぎます。竹が生えると道の形が無くなって来ます。
屋敷が点在するところに出ます。
  ダリアかな?綺麗にしていました。
県道に出て南に進んで行きます。
小野山川明木川に合流するところにお地蔵さんがあります。   「隠れ地蔵」と言われているようです。 隠れ地蔵の直ぐ傍のこの道が街道ではないだろうかな?とリーダーが考えていますが道幅が狭いかな?・・判断に困っていました。
県道を進み、左手の道に入ります。(A) 
 右手の山の色が良いですね。
この木の花は何でしょうか? よく見るとこんな感じ?
この通りには「あやめ」、「カキツバタ」、「花菖蒲」のどれか分かりませんが沢山植えてありました。見分け方は 網目、白線、黄色線   これは紅葉の実だそうですが?
ここに地蔵様があります。右は三界万霊とお大師のお堂です。 地蔵さんです。 この道で県道32号線に出ます。
上の地図はこの付近の地図です。 空色と緑が本来の街道?赤は我々が通過した道 (C)点で少し低い所にある道らしいところ 。これが(C)点の空色の道の名残でしょうか?この道を見るために街道を外れたのでしょうか?
 本来の赤間関街道は小野山川を渡ると右に入る道(空色)があるそうですが、今はありませんので県道を行くとされています。県道を進んで、(A)写真の所でリーダーは左の道を案内してくれました。今回使用している地図を見ると、ここでは県道を直進しています。県道を少し進んだ所で、左に入るのが地図では街道となっていますが、この道は無くなっているので、県道を直進して行くように書かれています。 無くなっている道は地図上の(C)点で4m幅くらいの道らしいのが見えます。

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