新撰長府散策コース   第4番~第6番

2014・03・01
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長府古城町を南に 山陽本線のガード下をくぐり直ぐ左折します。 長府中土居本町を南下し
 溝沿いの小さな道に入ります。良く調べていますね!  その路地を更に藪道に入ります。  暫くこんな道を歩き、東に向かいます。  
           菊舎旧宅跡(院内)       
田上菊舎は、加賀の千代女と並び称される江戸期の代表的な女流俳人である。本名を道といい、宝暦3年(1753)十日、長府藩士田上由永の長女として豊浦群田耕村(現豊北町)に生まれ、16歳で村田家に嫁いだが24歳にして夫を失う。のち、安永9年(1781)28歳の時、尼となって俳道修行の旅へ出発、以後はひたすら句作風雅の旅に過ごす、その足跡は遠く北陸までも及び、彼女の句として広く知られる「山門をい出すれば日本ぞ茶摘み唄」も、寛政2年(1790)に宇治万福寺を訪ねた折の作である。菊舎は、当時の文人墨客との交流も多く、「手折菊」「都の玉ぎぬ」などの著書も残している。ことに、文人殿様として知られる長府藩主11代の毛利元義公から、その才知を愛され、恵まれた晩年を送るが、文政9年(1826)8月23日、この地において74歳の生涯を閉じた。現在、長府の地には、功山寺と徳応寺(金屋町)の境内に句碑が建てられ、墓が徳応寺と本覚寺(中の町)の2か所にある。
 
 長府院内町の旧街道に出て来ました。南下していきます。 途中に 菊舎旧宅跡(院内)がありました。
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