第23回 維新・海峡ウォーク No.4 TOPに戻る  次のページ

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小月西の台の関に到着 見廻り通りに入る 地元の人の緑茶の接待
2km歩いた所で小月の西の台の関のチェックポイントに到着。ここでおじいちゃん達の記念撮影。直ちに出発、国道491号線を越えて、旧山陽道に入ります。「見廻り通り」に入り西南に向かいます。旧山陽道を右折し清末藩邸跡へ向かいます。
清末藩邸跡
長府藩初代藩主であった毛利秀元の二男毛利元知が、その領地の一部を与えられ、長府の支藩として清末藩を始めることを許されました。関が原の戦いから約51年後の承応2年(1653)のことです。神田川と木屋川を東西の境として奥に広がる地域で、現在の清末・小月と菊川町の大部分を含んだ石高1万石の領地でした。今国道二号線の沖側に見える広大な農地はその後に干拓されたもので、当時はこの高台の直ぐ下まで海がせまっていました。清末の藩内では交通の便がよく、中でも後ろは山前は海、東西を川に囲まれているこの地は、敵に攻められにくいという点で居城に最適の土地であることから、ここに藩邸が築かれていました。以来、明治維新に至るまで二百余年間、清末は城下町として繁栄を続けてきました。
清末藩邸跡石碑 清末付近のルート 藩邸跡付近を通過
上の地図の様に山陽道は緑色に着色した道ですが、この大会のルートは赤色に着色した道がルートになっています。清末藩邸跡や高林寺を通過するために設定しているのかも知れません。旧山陽道とは何時の時代の山陽道か分かりませんが、清末藩が出来た頃は地形的にも赤い線の方が正しいのかも知れませんね。
清末藩の関に到着 餅かって行こう 家老内藤家の表門
清末の藩邸跡を通り、清末小学校に設けられたチェックポイント 清末藩の関に到着する。(11時25分)・チェックを受け次を目指します。ここでは出店が沢山あり、地元の和太鼓の演奏もありました。皆さんお腹が空いたのかお餅の購入に殺到されていました。さらに西に歩を進めます。清末藩の家老内藤家の表門が下関市指定の有形文化財として保存されていました。
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