第23回 維新・海峡ウォーク No.6 TOPに戻る  次のページ

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中学生のバンド演奏 長府城下町の関 古江小路を歩く
旧山陽道で通称「乃木さん通り」には中学生のバンド演奏などで歓迎してくれました。乃木さん通りのほぼ中央に「長府城下の関」が設けられています。チェックを受けるだけで次のチェックポイントに向かいます。乃木さん通りから右に折れ、古江小路を歩きます。この道は山陽道ではありません。一つ南筋の道が山陽道です。
功山寺の総門が見えてきました 功山寺の山門をくぐる 国宝 功山寺の仏殿
檀具川を渡り、笑山寺の前を通り、功山寺に向かいます。この道は初めて通りました。功山寺の総門・山門をくぐり仏殿を拝みます。現在仏殿は6年ぶりの開放中でしたが、見る時間がありません。しばしの休憩後、関門トンネルに向け出発です。
国宝(建造物) 功山寺仏殿
桁行三間 梁間三間 一重裳階(もこし)入母屋造 桧皮葺 指定年月日 昭和二十八年十一月十四日
 鎌倉時代末期の唐様(禅宗様)建築様式の典型的な建造物です。床は四半瓦敷、礎石と柱の間に木製の礎板を入れ柱は上下部分が細く粽型になっています。 見事な曲線を見せる桧皮葺、入母屋造りの屋根を支えている化粧垂木は天井中央より放射状に配置され、扇垂木とも呼ばれています。また、二重屋根の内部の組み上がりの高さが異なった箇所を補うために海老虹梁(梁と同意)が用いられています。 さらに前面両角には釣鐘型の特徴をもった花頭窓を有するなど、わが国最古の禅寺様式がよく残されており、鎌倉の円覚寺舎利殿同様、寺院建築史上、貴重な建造物です。 この仏殿は、内陣柱上部に「此堂元應二年卯月五日柱立」の墨書があることから、西暦一三二〇年に建てられたものとみられています。功山寺はもと臨済宗・長福寺と呼ばれていましたが、毛利秀元により曹洞宗・笑山寺と改称、さらに慶安三年(一六五〇)秀元の没後、戒名(功山玄誉大居士)をもって功山寺と改称しています。
山口県教育委員会  下関市教育委員会
この付近の地図 檀具川沿いを下ります 関門海峡が見えてきました
上の地図で緑色の道が山陽道、赤色が今回のルートですが、山陽道は海岸線は通過せずに長府向田町を前田に抜け、日の山の中腹を廻り、みもすそ川に抜けるのが山陽道ですが、今回のルートは全く違い、海岸線を歩くことになります。
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