周防久保→玖珂  その3 TOPに戻る  前のページ
郡境碑 駕籠建場跡 中山峠の下り
熊毛と玖珂の間にある中山峠を登ったところに郡境碑がある。それには「従是西熊毛郡」「従是東玖珂郡」 と記載されている。郡表示を見ると明治以降の標識でしょう。現在でも岩国市と周南市との境になっている。今回の歩きの中で最も高度の高い地点です。標高114mで、郡境の地点です。峠を少し下ったところに駕籠建て場跡の案内板があった。そこから玖珂方面を眺めると、差川や遠く玖珂の町が見えました。
JR米川駅 孝行塚 島田川沿いの山陽道
峠を下りるとJR米川駅があります。その側を通り、島田川沿いを暫く歩きます。道路の左側に孝行塚がありました。それには「昔 元文、寛保(西暦1736年〜1743年)のころ、差川村の旧家三右衛門につかえ、主家の恩に報いるため、一意専心働いて主家の没落を救った六松の彰徳碑である。」と記されていました。山陽道は島田川を右手に見ながら川沿いを歩きます。この辺りで管理者の旧友と会いましたので、山陽道の散策は一時中止をしました。約3時間後に再びこの地に戻り、散策を再会しました。今回は錦帯橋まで歩く予定でしたが、行ける所まで行って終了にします。
高森天満宮 高森本陣 高森の町並み
島田川沿いにあった山陽道が川沿いから離れる地点に高森天満宮」があります。赤い鳥居があります。この天満宮は遠石八幡宮、防府天満宮と並ぶ周防ノ国三大天神のひとつで、学問の神様・菅原道真公が祀られています。東に向かい高森の宿場となっていた町並みの中心に高森本陣跡があります。江戸時代、藩主・役人・公家など、身分の高い人が宿泊した本陣の跡です。当時、高森は山陽道の宿場町として栄え、高森市と呼ばれ、本陣・脇本陣が置かれていました。現在でも宿場町として栄えた名残をわずかにとどめています
受光寺 玖珂の家並み 今回の終点 玖珂駅
さらに東に向かいました。今回は玖珂の駅で終わりとします。脇本陣として使用されていた受光寺の側を通り、玖珂の町を歩きます。今回の目的地玖珂駅に到着です。歩行距離は19.885km、実質所要時間 3:37:30 でした。次回は玖珂駅から広島を目指します。
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