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小郡→防府 その2 | TOPに戻る 前のページ 次のページ |
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県道335号線との分岐点 | 艫綱の森 寄舟神社の鳥居 | えびす堂・春定の高札場跡 |
一里塚からは住宅地をのんびりと歩きます。吉野桜は少し遅いようですが、八重桜は満開でした。一里塚から1.2kmで県道335号線と合流し、県道を365m歩くと左側に折れます。県道335号線の右側は海だったようです。この地区は陶と言い、北側山手には古代須恵器を焼いた窯址が残っており、国指定の史跡になっています。道路の左側に「艫綱の森」と書かれた案内板がある。そばの坂を少し登ると寄舟神社がある。案内板には「森(寄舟神社)は国道2号線沿いにあったが、道路工事のためこの地に移設された。艫綱とは船つき場港という意味で推古天皇19年(611年)大内の祖先百済の皇子聖徳太子がこの艫綱森に上陸されたと伝えられ寄舟大明神として祀られてきた。太子は陶の土がやきものを作るのに大変良い土であることかに気づかれやきものの作り方を陶の村人に教えられた。村人は盛んにやきものを作るようになった。作ったやきものは、この港から船で日本のあちこちに送り出したと伝えられている。またこの艫綱の森について次のような話もある。この港に針を積んだ船が着いていると大風が吹き針を積んだまま船は沈んでしまった。今でも、この地を掘ると針が出てくるので、この森を針森様とも呼んでいる。」とある。 |
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陶下市の市えびす | 春日神社鳥居 | 陶の立石 |
さらに東方に歩くと、陶公民館がある。その前に陶地区の観光案内板があり参考になる。少し東にえびす堂があり、そこが春定の高札場跡と言われた。さらに東に歩くと陶下市の「市えびす」がある。上市にもえびす様があり、上市と下市で交互に市が開かれていたので、えびす様が2つあるようです。えびすを過ぎて、円覚寺のそばを回って、国道2号線を横切り国道の南側の立石地区に入る。左側に春日神社の鳥居が見える。本殿は国道の北側にある。この鳥居の直ぐ東側の道路の左端に1枚の薄く切った石が立てられている。この石がこの地区の名前の由来とも言われている。立てられている方向が東西を示しているところから方位を示す石とも言われているが、詳細は不明である。 |
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陶ケ岳(252m) | 長沢池の西南端の分岐点 | 迂回路となった山陽道から長沢池を見る |
四辻の駅前を通り、東に向かう。山陽道の南側には陶ケ岳(252m)が見える。この山は平野の中にぽつんと存在するので、良く目立ちます。国道2号線と合流し、長沢池の西南端につく。長沢池は慶安4年(1651)に建設された人造池です。山陽道は池が出来るまでは、現在の国道のように、池の中を直進する道でしたが,ここより南に迂回するルートに変更したようです。この付近には往還松があったが現在は枯れています。池の北西端には大村神社や大村益次郎の墓があります。迂回路は現在はのんびりとした道でした。迂回路の途中で休憩を取り、東に再び動きました。 |
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