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| 下関←吉田 その7 | TOPに戻る 前のページ | |
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| 長府高畑から茶臼山方面を臨む | 前田からの関門大橋 | 壇ノ浦長州砲 |
| 長府の街を外れ、西に西にとのんびりとした風景の中を進みます。茶臼山を回り込んだ所が前田です。前田で現在の国道9号線の近くまできますが、そのまま、火の山を回るように歩きます。ここの辺りで山陽道を見失いました。火の山を回るように国民宿舎の上を通り、みもすそ川に抜けるのが本来の山陽道ですが道に迷ってしまいました。少し早めに国道9号線を通り、みもすそ川にある公園に入りました。ここは下関の観光のポイントで、関門トンネル、関門大橋、壇ノ浦等々観光客多くいました。 | ||
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| 長州砲 | 平知盛像 | 壇ノ浦の古戦場の址 |
| みもすそ川公園には最近取り付けられたのでしょうか、旧式の大砲(長州砲)が設置されていました。案内板には 天保製長州砲 幕末、関門海峡での6次にわたる攘夷戦は、元治元年(1864)8月、長州藩兵と英・仏・蘭・米4カ国連合艦隊との交戦をもって終結したが、これは明治維新の具体的始動につながった。この歴史的事件で下関海岸砲台に装備された長州藩の青銅砲は、すべて戦利品として外国に運び去られ国内から姿を消した。(略)パリ・アンヴァリッド軍事博物館にあったものをコピーして作られ、ここに展示されている。長州砲は天保15年(1844)萩藩の鋳砲家郡司喜平治信安の手になるもので、幕末日本人の対外危機感を象徴する歴史的逸品である。 赤間関街道はまもなく終わりになります。ここより海岸線を西に1.5kmで赤間神宮に到着します。 |
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| 赤間神宮 | 赤間神宮内の耳なし芳一 | 亀山神宮の鳥居 |
| 西国街道吉田・赤間関もやっと終点につきました。吉田を出て、22.2kmです。実際の距離はもっと多く歩いていますが、真っ直ぐくればこの距離になります。赤間神宮は800年昔、源平最後の合戦に安徳天皇は8歳にして平家一門と共に壇ノ浦に滅び、赤間関紅石山麓の阿弥陀寺境内に奉葬した。その後赤間神宮と改名されたものである。ここには平家の一門の墓や水天門、耳なし芳一などもあります。 赤間神宮から更に西に0.5kmの所に亀山神宮があります。亀山神宮には幕末に砲台が設けられていました。又この鳥居の下には山陽道の基点となる石碑が残っています。吉田からこの地点まで22.7kmになります。 更に下関駅まで歩いて見ます。吉田から下関駅まで25.5kmでした。 |
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