防府→福川  その2 TOPに戻る  前のページ  
次のページ
三宝荒神宮 周防国衙跡西北隅の標識 佐波神社
国分寺より200mばかり歩くと三宝荒神宮が左手にあります。そこにある案内には三宝荒神宮由来として「寛永17年(1640)この地方に犬牛馬に病が流行し、多く死す、村人うれいて仕事も手につかず、老人は気を患う、早速 社を建立し祈願したるところ間も悉く治り平安となる。平成2年が三百五十年に当たりここに社を再建する精神安定の神火難及び家畜の守護神として人々の崇敬を受ける。」と記されていました。通称ペットの神様のようです。
さらに60m東の方向に「周防国衙跡西北隅」の標識があります。この標識から東南一帯は周防国衙の跡地になります。案内板には
「周防国衙跡 西北隅」  昭和12年(1937年)615日指定
周防国衙(国府)は飛鳥・奈良時代に置かれた周防国の役所で、中世には東大寺の管轄となって存続した。周防国衙域は文献上に「方八町」(一町は106〜109m)とあり、この地はその西北の隅にあたります。昭和五十年の発掘調査では、戦国時代に埋まった溝や地形を造成した跡などが見つかっています。当地の直ぐ北には、周防国の総社であり国衙と深い関りのあった佐波神社があります。
 とあります。
大村能章の記念碑 山陽道傍の毛利邸入口 毛利邸正門
佐波神社の鳥居の東の隅に作曲家 大村能章の記念碑があります。大村能章はこの多々良の出身です。「麦と兵隊」「同期の桜」「野崎小唄」「旅笠道中」...等、戦前から戦後に活躍した人で1962年になくなられています。
佐波神社より200m東に毛利邸の入口があります。ここから毛利邸までは北に400mあります。ここには毛利邸庭園と博物館があります。庭園は400円、博物館は700円でした。予算の都合で庭園のみ入場しました。
庭園から見た毛利邸本邸 多々良大仏殿 県道54号線からの分岐箇所

毛利邸の入口から東に300mの所に多々良大仏があります。その案内板には
周防国多々良 大仏殿
奈良の都といえば霞立つ若草、三笠の山々を背景に東大寺大仏殿の釈迦が聳え立っていたので名高い。その奈良の都を模して、周防の国の国衙の立馬場に建立されたのが辻福寺の大仏殿で、遠く大平、矢筈、多々良の峰々に映えわたっていた。この大仏殿はそこが明治二十五年毛利邸用地に定められたときこの地に移築したもので、坐像の高さ約三米の仏像は阿弥陀如来、周防の国司、俊乗坊重源上人(八百六年前)の作と伝えられ今日広く信仰を集めている。

とありまいた。ここから山陽道は東に向かい、旧国道2号線(現県道54号線)に向け南下する予定でしたが、そのタイミングが少し早く南下したようです。県道54号線に出るとまもなく左に分岐する道に入ります。そこのスーパーで昼食を調達しました。

TOPに戻る  前のページ  次のページ  ページの先頭