西国街道 小郡→防府 その5 TOPに戻る 前のページ 次のページ
佐野峠から東への山陽道 佐野峠への上り口 一里塚址
現在の水道公園から沢田への下り道は地元の老人会の方々の尽力によって整備された道になっており、楽しく気持ちよく歩くことが出来ます。下ったところに池がありますが、山陽道はその池の周囲を回って東に向かいます。佐野峠から下りた所にはやはり老人会の作製の案内板があります。多分これが無い場合は佐野の峠に上がることは出来ないと思います。
* 一里塚のあった付近 玉祖宮燈篭 玉祖神社の鳥居
佐野には一里塚があったと言われています。現在一里塚址の石標が家の傍にありますが、その家の人の話では実際にあった場所は*印の写真の位置ではないかと言っておられました。東に歩を進めると玉祖宮の燈篭があります。この地域は焼物が盛んであったようです。この燈篭の南に玉祖神社の分社である若宮神社がある。この神社は佐野焼きの守り神としてまつられていた。佐野焼きは盛んで、全国に出ていたらしいのですが、現在は1軒だけがやっておられるようです。玉祖神社はこの燈篭より東に500mにあります。道は佐波川に向かって右に大きく曲がっていきます。山陽自動車道の手前で左折し、自動車道と平行に歩くと玉祖神社の鳥居が見えてきます。この鳥居から北に300mのところに神殿があります。
浜宮 佐波川の大崎橋 大崎橋から下流を望む 渡しの址付近
高速道路の下をくぐる人道の前に1335年に創建され、1872年に再興された浜宮がある。歩道橋をくぐり、佐波川の土手に上がる。上がった付近が昔の[大崎渡し]の場所である。大崎渡しの料金は1660年当時で人5文、馬10文だったようです。この渡し以外に、佐波川の渡しは上流の「萩往還」の「大渡り」と下流の泥江(現在の佐波川大橋付近)に渡しがあったようです。大崎橋は少し上流にかかっている。現在は人道と車道を区別するために新しく人道専用の橋が下流側にかかっている。大崎橋を渡り、東側の土手を北に向けて歩く。土手沿いを北東側に歩くと2.36kmで新橋がある。さらに1km歩くと萩往還の渡しのあった本橋がある。
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