厚狭←小郡 その6(船木宿場) TOPに戻る  次のページ  前のページ
道標 地蔵さん 岡崎八幡宮
一里塚の跡?に道標が立てられている。「安芸小瀬川(広島県と山口県の県境に流れる1級河川)へ27里、赤間関へ9里」と記載されている。直ぐ近くに御地蔵さんと太子堂があります。緩やかな坂をさらに下ったところの右に岡崎八幡宮があります。街道の傍に鳥居がありその奥に神殿があります。
岡崎八幡宮 舟木宰判 御高札場跡 旧楠町庁舎
岡崎八幡宮は宝亀元年(770)光仁天皇の勅使として、和気清麻呂公が宇佐神宮へご下向の時、船木の歴史をお聞きになり、神功皇后の深い因縁の地であることをお知りになった。ご帰路の際、宇佐神宮のご分霊をこの地に鎮座がこの宮の創立で、神功皇后古が朝鮮出兵の時、この地の楠の大木を切り、48艘の軍艦を作られた。この地を舟木という(日本書紀)。古くから鎮守の神として崇敬されてきた船木全域の産土神で、社前のくすの木の巨木に寄生するシーボルト・コギセルという巻貝は、潮の干満につれて幹を上下すると言われ、海上安全のお守りとして珍重されました。樹齢はおよそ700〜800年と推定されている。
少し、西下した所に「舟木宰判 御高札場跡」の道標があります。舟木の宰判所はこの道標の前にあったと近所の奥さんが言ってました。
旅人荷付場跡 舟木の町並み 大木森住吉神社と太鼓橋
県道30号線の交叉点の西側に旅人荷付場跡があります。立札には「江戸期には、ここに駅馬15頭と人足十数人が用意され、公儀役人や大名行列、旅の人々の世話をしていた。船木は本宿で、この本往還すじに町屋がならび、表と裏町に水路が二すじ流れ、お茶屋(本陣)・勘場(役所)また田町に御番所なども設けられ宿場役人がいた。」と記載されています。そこから町並みに入ると街道すじの宿場らしい雰囲気がある町並みになえいます。その中央付近に大木森住吉神社があります。この神社は船木の地名伝説と起源に関係ある神社。だそうです。参道の石橋は1852年に懸けられています。外見はアーチ式に見えますが、刎ね橋で山口県に多い構造です。
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