萩往還
萩市唐樋札場跡⇔防府市茶屋町 作成  2004年 6月23日
更新  2005年 4月27日
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当時のままの石畳が残る萩往還
明木→釿切の一升谷の石畳
歴史の道  萩 往 還 (案内板より転載)
萩往還は、江戸時代のはじめ萩城と三田尻(防府市)御船倉を結ぶ、参勤交代の道として整備された街道です。行程は12里(53Km)ですが、政治的に重要な道であったため、道幅2間(約4m)の大道として位置付けられました。
そのため、利用する人も多く、山口県の歴史にとって大変意義のある道といえます。しかし、中国山脈を最短距離でこえるこのルートには、険しい坂や峠が多く、道行く人にとっては苦の多い旅であったと思われます。途中には、石畳が敷かれ、御駕籠建場や御茶屋が設けられ、復元された建物もあります。遠い江戸につながるこの道を、武士や庶民そして憂国の志を抱いた維新の志士たちはどんな思いで歩いたことでしょう。歴史の道を踏み締めて、その鼓動を確かめながら、ゆっくりと歩を進めてください。文化庁  山口県教育委員会
右の地図は踏破した軌跡を赤線でプロットしたものです。
                            萩往還全行程における高さ
下のグラフは萩往還の唐樋札場跡から防府市の茶屋町までの全行程の高低差をグラフにしたものです。(実際に高度計付きのGPSを持って測定したデータをカシミールで処理したグラフです。縦軸:高さm、横軸:歩行距離km)この行程間で最も高い所は東鳳便山の近くになりますが、長門と周防の国境の碑があるところより少し山口市に入った坂堂峠になります。
地名 萩市札場
鹿

明木












瑠璃光寺
小鯖








高さ
m

540m

500m



400m

 
300m



200m


100m
 
 
 
 

300m



200m
走行距離 0Km 10Km 20km 30km 40km 50km 58Km
それでは萩往還を歩いて見ましょう。   萩市→佐々並間   佐々並→山口間   山口→三田尻間 
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