![]() |
TOPに戻る 前のページ 次のページ |
今回は山田から入り、棚井まで歩いて、引き返してきました。それでは、「千林尼の棚井山田石畳道」を歩いてみましょう。 |
![]() |
![]() |
![]() |
興福寺 | 番匠観音の案内板 | 石畳道入り口付近の道 |
国道2号線から船木の交差点から南方向に通称農道に入り,こちらの地図の丸印の交差点より東側に入り、直ぐ右折し、南下します。左手に興福寺(瑞松庵別院)があります。ここには木造聖観音菩薩立像(宇部市文化財指定)が安置されています。番匠観音の案内板には次のように記載されています。 <興福寺の番匠観音> 中世期船木の番匠にあった吉祥院の本尊、寛永年間に岡崎八幡宮に移り、明治期にも転移されたため破損がひどい。藤原中期の作と推定、旧楠木町では最古の木造仏で、ヒノキの寄木造り、像高168.7cmほどの容姿端麗な聖観音、神功皇后の造船に因む番匠伝承縁起からこの名で振興されてきた。航海安全に霊験あらたかとされて観音尊影が版行され、海上安全の御守札を受ける人々が多かった。当寺は長門33箇所の内の第18番札所である。現在、番匠観音は本寺瑞松庵に安置されている。 さらに南下し、宇部興産専用道路をくぐります。左手に石畳道の道標があります。 |
![]() |
![]() |
![]() |
あれ!家の中? | 道のようです | 木々がうっそうとして来ました |
白い道標迄来ましたが道が分かりません。・・・・よく見ると家の傍を通って山に入る畦道があります。この道が千林尼の棚井山田石畳道です。少し入るとうっそうとした道になりました。道であることは分かりますので、進んでみることにしました。 |
![]() |
![]() |
![]() |
千林尼の石畳の案内板 | 第五石畳標識 棚井に向かって | 第五石畳 山田に向かって |
少し歩くと右手に案内板がありました。案内板には次のように記載されています。 この道は、元禄年間に勘場(今の役所)が置かれていた船木と厚東棚井を結ぶ主要な道路で、勘場に集められた米や農作物を、棚井にあった厚東川の船着場に運送する経路でもありました。峠越えの険しい山道で、人馬の運行に困難でしたが、千林尼が、托鉢をして浄財を集め、慶応年間に石畳同を造成しました。千林尼は、西岐波大沢の生まれで、若くして仏門に入り、天保十一年(1840年)頃に常盤池のほとりに庵を構えました。安政四年(1857年)に船木逢坂の観音堂の堂主となり、近隣の道路改修や架橋などに力を注ぎました。明治二年吉部田の玉泉庵(現山陽小野田市)で亡くなりました。現在、山田・棚井間約1640メートルの山道に総延長二百メートルの石畳が残っています。道筋には「お駒堤」「醴泉」「道祖神」があり、郷土の先人の業績を偲ぶ「歴史の道」として貴重な史跡です。 最初にあった石畳は第5石畳と示されていました。棚井側から数えて5番目の石畳になります。標識には 長さ 94.95m、幅 1.2〜1.45m とあります。石畳は道全面にあるわけではありません。石畳である事を感じさせる程度に散在しています。この石畳までは登りになっていますが、これからは勾配は緩やかになります。第五石畳道を少し上ったところが、旧楠町と宇部市の境界線になります。 |
TOPに戻る 前のページ 次のページ ページの先頭 |